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トラサルディ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
トラサルディ
現地語社名
Trussardi
種類
私企業
業種 ファッションブランド
設立 1911年
創業者 ダンテ・トラサルディ
本社
所有者 ミロリオ・グループ
ウェブサイト www.trussardi.com

トラサルディ(Trussardi [trusˈsardi])は、イタリアのファッションブランドである。1911年に革手袋の製造業者として創業し、1970年代に創業者の甥のニコラ・トラサルディ英語版が引き継いだ後、革製品の製品ラインを拡大した。1980年代には、既製服や香水、ジーンズなどの製造を開始した。1990年代には、イタリアと日本を中心に世界に販売網を広げた。

2024年にミロリオ・グループの傘下で運営している[1]


歴史[編集]

1911年-1970年[編集]

1911年にダンテ・トラサルディ(Dante Trussardi)によって革手袋メーカーとして創業され、第二次世界大戦中にイタリア軍が連合国軍に降伏するまで、一般の人々やイタリア軍に販売していた[2]

1970年代[編集]

1970年に創業者のダンテが狩猟中の事故で亡くなり、その甥のニコラ・トラサルディ英語版が事業を引き継いだ。ニコラの妻のマリア・ルイザ・トラサルディもクリエイティブ・ディレクターとして入社した。1970年代、ニコラは、ファッショントレンドの変化に対応し、手袋以外の革製品やアクセサリー、そして最終的には革製品以外へと多角化していった。ニコラは、財布、スーツケース、ベルト、靴などの製品にグレイハウンドの新しいロゴを入れ始めた。父親の死後、ニコラが会社の全権を握った[2]

1980年代[編集]

トラサルディのグレイハウンドのロゴ

1980年に"Trussardi"(トラサルディ)のブランド名で最初の香水を発売し、1983年には男性向けの"Trussardi Uomo"(トラサルディ ウオモ)を発売した[3]。1983年には初のレディスの既製服の製品ラインを発表し[4]、1984年にはメンズの製品ラインを発表した。1986年には"Trussardi Jeans"(トラサルディ ジーンズ)を立ち上げた[5]

その後、スポーツ用、室内用のラインが加わった。1985年までには世界で120店舗を展開した。また、自家用飛行機やヘリコプターの室内デザインも手掛けた。この頃、同社はアメリカ市場に参入し、ブティックだけでなくデパートにも店舗を構え、ビバリーヒルズアトランタマイアミサンフランシスコにフランチャイズ店舗を開設した。1985年に百貨店チェーンブルーミングデールズに初出店し、グランドオープニングにはオペラ歌手のルチアーノ・パヴァロッティが出席した。ミラノでは、ドゥオーモ広場スカラ座ミラノ中央駅などの普通ではない場所でファッションショーを開催した。1989年には初のアイウェアの製品ラインを発表した。1993年には、ブリンディジに研究開発センターを開設した。同所は、当初は原材料の研究、新しい生地の開発、環境に優しいパッケージへの変更に重点を置いていた[2][6][7][8][9]

1990年代[編集]

同社はまた、2種類のブランドショップを展開していた。1つは、トラサルディのファッショングッズを販売するトラサルディストア、もう1つは、同社のライフスタイルラインを販売するT-Storeである。T-Storeでは、ジーンズ、スポーツライン、自転車、食器、お菓子などの商品を取り扱っている。1995年にバンコク香港ソウルに最初の3店舗をオープンした。1996年、トラサルディは、特にベーシックに焦点を当てたカジュアル衣料品の初の公式T-Storeラインを発表した。最初のコレクションは、Trussardi Sport(トラサルディ スポート)、Trussardi Jeans(トラサルディ ジーンズ)、T-storeの3つのラインで、それぞれのラインは、イタリアのモデナを拠点としニコラが所有するSosab社によって生産されていた。1996年にはニューヨークにもアメリカ1号店をオープンした。その年の売上高はライセンスを含めて5億3千万ドルだった[2][6]。また、ミラノでは、スカラ座の向かいにニコラ・トラサルディが再開発した「マリノ・アッラ・スカラ」内にも新店舗をオープンした。この複合施設には、バー、レストラン、店舗も併設されている[10][11]

トラサルディ家

この時点までに、同社は7つの香水のブランドを所有しており、香水の売上の約3分の1はヨーロッパであった[4]。1992年、トラサルディはTrussardi Levriero(トラサルディ レヴリエーロ)とTrussardi Action(トラサルディ アクション)のライセンスを日本の伊藤忠商事に5年間で約14億ドルで供与した。当時、イタリアの輸出総額の約70%を日本が占めており、日本にはレヴリエーロの店舗が約200店舗あった[12]。ニコラ・トラサルディは、伊藤忠との提携に続き、長期的なパートナーとして帝人と提携した。2003年、帝人との関係を終了し、三井物産を日本のパートナーとした[13]

2000年代以降[編集]

1999年にニコラが交通事故で急逝し、その長男のフランチェスコ・トラサルディがブランドの会長に就任した。フランチェスコも2003年に交通事故で亡くなり、妹のベアトリス・トラサルディ英語版が社長兼CEOに就任した。後にニコラの妻のマリア・ルイサ・トラサルディが社長に就任した[14]。2006年、フェンディでデザインを担当していたエリック・ライトをヘッドデザイナーに採用した[15]。2013年、ガイア・トラサルディがクリエイティブ・ディレクターに就任した。ガイアはそれ以前に、Tru Trussardi(トゥルー トラサルディ)とTrussardi Jeans(トラサルディ ジーンズ)のクリエイティブ・ディレクターを務めていた[16]。 ロゴ制定40周年を記念して、清水侑子が『スカイウォッチャー』と題した短編アニメーションを制作した[17]

2024年にミロリオ・グループの傘下となった[1]

脚注[編集]

  1. ^ a b Miroglio group buys Trussardi from QuattroR - Fashion & Luxury - Ansa.it” (イタリア語). Agenzia ANSA (2024年3月12日). 2024年4月24日閲覧。
  2. ^ a b c d Samantha Conti (1999年4月15日). “NICOLA TRUSSARDI DEAD AT 56”. WWD. 2015年9月24日時点のオリジナルよりアーカイブ。2014年5月28日閲覧。
  3. ^ N. Groom (1997). New Perfume Handbook. Springer. p. 332. ISBN 9780751404036. https://books.google.com/books?id=UYrDPqLVD-kC&pg=PA332 2014年5月27日閲覧。 
  4. ^ a b Amy B. Barone (1996年6月7日). “Revamped Trussardi returns to basics.(Eye on Fragrance)”. WWD. 2015年9月24日時点のオリジナルよりアーカイブ。2014年5月27日閲覧。
  5. ^ Nicola Trussardi”. The Herald (1999年4月27日). 2015年9月24日時点のオリジナルよりアーカイブ。2014年5月27日閲覧。
  6. ^ a b Samantha Conti (1996年1月30日). “Trussardi makes bid to redefine image with new, sportier lines. (Nicola Trussardi)(Italia '96)”. WWD. 2015年9月24日時点のオリジナルよりアーカイブ。2014年5月27日閲覧。
  7. ^ Designs on US expansion inspire Nicola Trussardi”. WWD (1985年9月26日). 2015年9月24日時点のオリジナルよりアーカイブ。2014年5月28日閲覧。
  8. ^ Bloomingdale's opens boutique for Trussardi”. WWD (1985年9月24日). 2015年9月24日時点のオリジナルよりアーカイブ。2014年5月27日閲覧。
  9. ^ Trussardi plunging into the U.S. market. (leather goods manufacturer introduces sunglasses line)”. WWD (1991年5月10日). 2015年9月24日時点のオリジナルよりアーカイブ。2014年5月27日閲覧。
  10. ^ Samantha Conti (1996年9月25日). “Trussardi builds his dream palazzo”. WWD. 2015年9月24日時点のオリジナルよりアーカイブ。2014年5月28日閲覧。
  11. ^ Dominique Muret (2014年1月30日). “Tomaso Trussardi (AD di Trussardi): "Nel 2014 lanciamo la linea Casa e gli orologi"”. Fashion Magazine. 2014年7月7日閲覧。
  12. ^ Sara Gay Forden (1992年9月3日). “Trussardi inks pact for Japan licensing. (Trussardi S.p.A., C. Itoh and Company Ltd.)”. Daily News Record. 2015年9月24日時点のオリジナルよりアーカイブ。2014年5月27日閲覧。
  13. ^ In Brief.(Brief Article)”. WWD (2003年1月9日). 2015年9月24日時点のオリジナルよりアーカイブ。2014年5月27日閲覧。
  14. ^ Courtney Colavita (2008年1月21日). “TRUSSARDI'S TURNING POINT”. Daily News Record. 2015年9月24日時点のオリジナルよりアーカイブ。2014年5月27日閲覧。
  15. ^ Suzy Menkes (2006年1月20日). “Gucci heads for highlands while Anglomania reigns”. International Herald Tribune. オリジナルの2015年9月24日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20150924172648/http://www.highbeam.com/doc/1P1-117580269.html 2014年5月27日閲覧。 
  16. ^ Ella Alexander (2013年2月28日). “Trussardi New Creative Director Named”. British Vogue. 2014年5月31日閲覧。
  17. ^ Zargani, Luisa (2013年12月3日). “Trussardi Marks Milestone With Animated Short”. 2021年2月23日閲覧。

外部リンク[編集]